昭和46年10月24日 特別奉修委員


 信心しておかげを受けてくれよと、んー、その、おかげを受けてくれよという(がそり?)の世界というか、実に、まあ、不思議で不思議でたまらん、(おろし?)の世界といいうものが、んー、そういう不思議な世界に、んー、生活さして頂くという事が、弥が上にも有り難いという念が強うなってくるわけでございましょうが。

 うーん、例えば、昨夜の、おお、(・・・今度の?)結婚式の事かなんかでしょうか、(いいのくってせみなって集まって?)、月次祭の後に遅くまで、11時頃まででしたでしょうかね、あの、んー、お話をしておりました。

 それで、えー、終わってから、お茶を頂かしてもらって、こりゃもう、いつもの、まあ、例になってますけれども、御大祭の次の月次祭に、の時には、もう、おー、ちょうど、おー、昔はあの、翌日、ま、ああ、反省会、えー、という名の(ぜんざらい?)といったような雰囲気だったのが、今でもやっぱ残っておるわけですけれども、えー、その時、当然来なきゃならない(人達?)来ません、例えて言うと。(福岡の連中?)なんかね。

 いつも例えば、昨日の、おー、中に秋永先生とか文男先生とか、(まさき先生?)とか、ああ、高橋さんなんか、あの、翌日きよませんでしたからね。ちょうど、その連中だけが残りましたから、まあ、大祭の、ま、いうなら、えー、色んなものを、家内、昨日、ちょっと具合が悪くて休んでおりましたから、まあ、愛子が色々、それでもう、そんな事、忘れてしもうとりましたら、結局、昨夜、そういう事になったんですけれども。

 うーん、どうでしょうかね。確かに、あのー、(ひゃくにのもんじき?)というようなものやら、例えば、なら、松茸のお吸い物があると、あ、これ春菊があると良かばってんねというような、その春菊がそこに、はあ、あそこにほんな、(ゆでるだけじゃあるけどありましたよ?)とかね、ね、えー、例えば、昨日は、あの、マンゴスチン、でし、じゃなかった、なんとかですね、あのー、南方の、なんか珍しい、初めて、あのー、お供え頂いた、なんとかっていうね、えー、南方の果物なんですよ。

 それを、あの(あとうぞ?)この頃、おー、翌日に頂く時にあのまま頂いたですね。したら、あの(勇先生?)に、ああ、ありゃあーた、食べ方を間違、忘れとったっち、ありゃ、レモンをかけて食べるというなたいね。はあ、それから、それを切っとたら、いや、レモンがなからないかんって、レモンがちゃっち、そこに一つころっとあるとですよね、まあーつって言う訳ですけれども。

 それから、えー、この頃から飯塚の帰りに、あのー、峠(のてあでね?)、あのー、や、いも、山芋の、いわゆる山掛けですたいね、そばを美味しかったから、んなら、あの作りましょうかっちってから、高橋さんが言われますもん。んなら、頂こうかっちって、て言うて、まあ、そばを、おー、作らして頂いて、それから、あの、なんの、のりこさん所の姉さんとこ、山から、もうそれこそ、(ひげのはえたごたる、ほんやはあいだがからむといかんのですよね?)あれが。

 こおーりゃもう、ほんとにもう、こりゃあ、あのー、この頃、峠に連れて頂いたつよりも美味しいっちいうごたあ、かけ、あの、そばが出来ましてね。あのー頂いて。それから、あの、お神酒を頂いて、すこーし、なんか冷やーっとした、冷やっこかなんか食べたいっち。冷やっこは、あすけ、今日は、(こうち?)から奥さんが仕事に行け、あ、あのー、行け、あのー、行け、あのー、行かっしゃりましたよっち言うもん。

 なら、頂こうかっち。なら、これいっちょ、ちりめん雑魚かなんかねー、あると、ほんといいけどっち言ったら、秋永先生が、あら、今日、私は、家内が、あの、宮崎から、もーう見事なちりめん雑魚をね、「つくりば?」から送ってから、もう、「そげんつくりば?」から持っていかんっち言うたけども、しゃっち持っていけっち言ってから、持ってきたけん、冷蔵庫ん中、入れとりますよっち、秋永先生が言いますもん。

 もう、そんなふうですよ。うん、もう、そりゃもう、ほんっとに驚くばかり、ね。ね、冷やっこに、ちりめん雑魚があり、松茸には、そこに、ね、春菊があり、ね、えーその、ま、マンゴスチンかなんか、あの果物には、ほんとに(その先生?)が言うように、レモンをかけないかん、かけてからの事がほんとじゃったっていうとかいうなってから、レモンそこに、ころっと一つ、ほんのそこの前にある。ほんの目の前にあるですよっちって、愛子が言うてきましたんですけどもね。

 うんー、その前には、子供達が、あのー、ケーキを頂いてましたが、ケーキがちょっとそのー、んー、ま、紅茶がついて、レモンの輪切りが入って、ウイスキーをちょっと落として頂くというようなですね、もう、ほんっとは、すぐそこにうんっこあるという事ですね。買うてよせてあったじゃなくて、その頂きたいものが、そこに最高の味わい頂けるようにあるという、そういう不思議な不思議な世界があるんですよ。

 こりゃもう、絶対ですね、うん。ですから、あたくし共はどうでもそういう世界に住まなければならない、それをいうなら、あたくしが頂いておる、なら、親先生の信心のどこから、それが生まれてくるかという事がですね、あたしは、ここに通うて来る人達の、おー、いわば、注目しなければならない、また、焦点でなからなければならないと思うんですよ。

 ですから、そのー、ははあ。それけん、これはね、あたくしが、もうこれは何でもおんなし事でね、本当な事は、なら、歌舞伎役者、あの、あのあれが、手を取り足を取りして教えるという事は決してないわけですね。もうちゃあんと、その、おー、先輩なら先輩が踊ってる、演技をしておるのを、見てから体得する。もう、教えたり、教えられるもんじゃないって言われてるです。

 これは何でもそうだと。必要な事はもちろん教えもしましょうけれどもね、なら、ここでも、いちおの事は、なら、御理解なら御理解を頂きますけれどもね、もう、これ以上のものはですね、そういう、例えて言うならば、不思議な世界に住まわせてもらうといったような、まあ、いうなら最高のおかげの、おー、おかげというものはね、こりゃもう、教えたから出来る事じゃないごとあるです。

 それにはね、やはり、んなら、いうなら、あのー、んー、あたしは先日、えー、久富先生と一緒にお風呂に入らせて頂いた時に、まあー、ああ、あたくしの風呂に入ってからのする事ですよね。それを一遍、どげんなん事するか、あんた、覚え、知っとんのっち言うたら、知っちゃないですけんね。

 いつも、いってから一緒に入るけどもですね、ただ、(いわきの先生が?)いつの場合でも、半分であ、なさる事、少し、多すぎたら、またお湯に返してから使いよんなさる事、その事だけは、覚えちゃるから、話すからあたし。けれどもね、お風呂に入ってから、、もう、誰ーもしよらない事、誰も真似の出来ない事。これはあたしと一緒に風呂に入るもんじゃなからな分からんとです。

 ですから、そういう所の、いわゆる細かい所まで、目を付けていないという事がね、んー、例えば、あたくし、去年おととしでしたかね、あの、んー、(こやまさん?)の所の親戚の、おー、なんか、歌舞伎、んーなんか、(しょうしょくのなんか、しあいかなんかでこっちにみえて?)、(かずおば?)達が親子で、夏に、おし、あの、来た事がございましたよね、あの、文化ホールに。

 そん時に、あの、あたくし驚きました事は、あの勘三郎の息子の勘九郎というのがね、もう自分の(あれが?)すんだら、つるーっと見物席に来るですよ。そしてお父さんの演技をもう、一生懸命に見てる。まだ、2、3年前です。去年おととしだったですかね。ですから、まだ、ちっさかったですが。

 もうそりゃもう、っとこうやって見てるんです。そしてから、その横に来ておるその人に言ってるんですよ。はあ、お父さんがあそこん所は、あの、さっきしたの所とは、違った、あー、ふうに、あそこはしたねっていうような事を話してる。あたし後ろから見てましたんですよ。そういう細かい事まで見逃さない。そういうなものがね、お互いに、欠けておるんじゃなかろうかと。

 御理解を頂いて、それを行ずるという事もさる事ながら、なえ、そういうおかげを頂いておる人の側に、例えば、ああ、こうして、えー、おかげを頂いておるんでございますからね、まあ、いうならいかにも、あたしが良かとのごたるけども、しかし、おかげを受けておるという事だけは事実なんですよ。
 ですから、その人の言うておる事、しておる事、というか、その、どげん所が違うかをですね、やっぱり、あの、観察されなければいけんというふうに思いましたですね。

 まあ、昨日、昨夜、例えば、ほんな、ああ、1時間ばっかりの間に色んな頂きものをしました。そん中にですたい、もうそれにはそれでなからきゃならんものが、そこにある、もう何時間前から誰かそこに、ちゃんと持って来て置いとる。ね、誰かがここに置いとったじゃろかというようにですね、ちゃんとそこに、こう、あるという事です、動かなくても、ね。

 そういう例えば、これは食べ物だけの事じゃない、一切全てがそうなんです。ね、だからそういう、おかげを、んなら、側で目の当たりに、まあ見ておるんですから、あれがどこから、ああいうふうにして受けられるものかというようなものを、もっともっと、深く、広くというかね。

 んー、観察しないと、おー、そりゃねえ、あのー、これは、んなら、言外のげんというても、言葉では言い表せない事がある訳です。それは、皆さんが本気で見て、やはり体得する他ないというふうに思うですね。

 昨日はね、そのー、あたくしが、昨日お話しの中で話したように、もう、それこそもう、鯖んごたる大きな鮎の話をしましたでしょ。それが、もう2匹残ってたんですよ。それで、それを、あの焼いて頂いてから、それもそうでした、あたしの時には、きすがいっちょあったばってんが、きすなしで良かたいっちったら、ん、どっかありますよっちたら、ちったあ、(くらったあじゃあったけど?)そこには、きすがあるとですよね、ちゃんと。

 もう、ほんなこて先生が(ちいたごたること?)ばっかり言いなさるけんでっち思いよったら、こーりゃ、あーた、もうほんなこてー、あの鯵のごたる、こりゃもう、い、いだ、ほんなこて、偉大な、そのーあれでしたもんね、鮎が、うん。それも、昨日は一緒に、うんまあ、何種類頂きましたでしょうか、ちょっとの間にですね。

 それが、もう、もうね、それには、こう、これがなからないけないというものが、皆足ろうて、揃うて、皆が美味しかった、美味かったと、食べてしもうとるばってん、そこば感じて頂いたものがあったじゃろうかと思うてね、あたくしはもう、うん。

 あれは、なんとか言ったですね、あの、南方のあの果物、なんとかじゃった、(※信者さんが「マンゴ」と答えている)、マンゴスチンじゃなかもん、(※信者さんが、「は?マンゴスチンじゃなかね、パパイヤ)、パパ、パパイヤ(笑い)、うん、パパイヤ。それに昨日はあの、珍しい、れ、こんなあれを頂いてましたもんね。あの、おー、大盛りにのってたでしょ、あの、まあるいあの、メロン、メロンの、どっかね、佐賀からでてけ、特別なメロンだそうです。

 それを頂いてね、まあ、(ようきのずいぶんたてしかもこないだに?)よう頂いたもんだと思ってね(笑い)。しかし、それがそこにあるという事はもう、ね。もうどげん考えたっちゃ、不思議で不思議でたまらん。こりゃちょいとおいしかもんのあるばってんっちてね、それ、ついたものがね、もうなかばってんよかたいっちいうなら、なおのこと。なら、こうちこんのっちいう事もいらんでね、そこにある。

 そげなん、どげん考えたっちゃ、不思議で不思議でたまらん。あたしは、ほんなこて、今日、家内が宮崎から送ってきたつを、ちょこっとばかしじゃけ、あたしが冷蔵庫ん中入れときましたよっち言ったのを驚きました。こりゃ、ちりめん雑魚なんかあると良かばってんねっちゅうとこに、そこにあるとじゃけんなあ、ちゃんと、うん。

 はらあ、もうほんとに、ここでは、初めて、あの山掛けを、のを、昨日、高橋さんと愛子で二人作ってくれましたが。しかも、ほんなら、食ぶるとでっちゃ、普通、頂いとる長いとでじゃね、ありゃ、(いっこ?)いかんとですよ。あの、もう、(こうじゃいねっちこたるとのね?)、ありゃ、そばにかけられなきゃあ、やっぱ、美味しくない、ね。

 まあ、だからおかげで、もうここで一つ、ほんとに(そういうせいかくのおんじんいただくごつならんでも?)頂かれるとですけんね。やっぱ、(いよくは?(笑い))ちゅう事には、やっぱおかげを落としますからね。ところがやっぱ、人間と(いうのはいただきすぎてさかいちーとやっぱこうしてみずをごけっかいいただかなんとかというてこういただきすぎたいですね?)うん。

 ここの所が、やっぱり、またおかげを落とす元がね、でけてくる。心がけならん所ですよ。もう、そういう事をですね、実際、目の前で見て、一緒に味おうとるでしょうが。だから、そこに、皆が不思議を感じんじゃろうかと思うてですね。たとも、ここで、頂いとった、もう当たり前ごと思うとるです、ね、うん、不思議な事。

                                 さだみきこ